モノを持っていない人=ミニマリスト
このように勘違いしている人が多い気がします。
確かにミニマリストには持っているモノが少ない人は多いです。でもモノが少ないことはミニマリストの本質ではありません。
勘違いしながらミニマリストを目指してモノを減らしても、ただモノが減るだけで何も変わらないです。それどころか、ミニマリストであることに囚われてしまって逆に生き辛くなる場合だってあります。
もし人生を好転させたくてミニマリズムを生き方に採用するのであれば、あるいは外見だけのミニマリストになって嫌われたくないのであれば、ぜひこの記事を読んでみてください。
モノが少ない=ミニマリスト?
僕の家にはテレビがありません。
あまりモノを持つのは好きではありません。特に服を持つのが好きではなくて、全部で段ボール一箱分くらいの分量です。靴は趣味のランニング用を含めて5足。
車も所有してないですし、家も賃貸です。
こういった話をすると「ミニマリストなの?」と聞かれることがあります。
この質問には違和感を覚えます。なぜならミニマリストかどうかは、所有物の多さや持っている持っていないで判断できないからです。
そもそもミニマリストとは?
日本におけるミニマリストの第一人者の一人、佐々木 典士さんの著書『ぼくたちに、もうモノは必要ない。 – 断捨離からミニマリストへ』にはミニマリストの定義として、次のように書いてあります。
ミニマリストとは、「本当に自分に必要なモノがわかっている人」「大事なもののために減らす人」だとぼくは考えている。
ぼくたちに、もうモノは必要ない。
ぼくが思うミニマリストは、ただ他人の目線だけを気にした「欲しい」モノでなく、自分が本当に「必要」なモノがわかっている人。大事なモノが何かわかっていて、それ以外を「減らす」人のことだ。
ぼくたちに、もうモノは必要ない。
冒頭のように「ミニマリストなのか?」と聞いてくる人は、「減らす人」のことをミニマリストだと考えています。でもそうではありません。
本当のミニマリストは上記の定義にもあるとおり、
「自分にとって必要なモノ、大事なモノを知っていて、それを大事に扱うという目的のために、それ以外を減らすという手段を取っている人」
のことであり、まずありきは自分にとって大切なモノを大切にすることにあります。
持っているモノが少ないからって、大切なモノを大切に出来ていないのであればミニマリストではありません。
持っているモノの少なさや、持っているモノ持っていないモノがどうだとか、そういった外見では、ミニマリストかどうかは判断できないんです。
外見だけのミニマリストなっても生活の質は変わらない
「モノが少ないミニマリストはかっこいい」
「シンプルなライフスタイルに憧れる」
そういった気持ちも分かります(僕もそう思っています)。
だけど、繰り返しになりますが、モノの少なさとミニマリストかどうかは関係ありません。
その人がかっこよく見えるのは、その人が好きなことを追求し、大切なことを大切にしているからであって、そのために無駄で余計なものを捨てているからです。
持ちモノが少ないから、その人がかっこいいのではないんです。
そうした外見だけのファッションとしてのミニマリストを追求しても、生活は変わらないし、むしろ悪くなる場合もあります。
たとえばモノを減らすために炊飯器を捨て、鍋で米を炊くとしましょう。
確かに土鍋で炊いたご飯は美味しいかもしれません。でも鍋で炊くのって、どうしたって手間や時間が増えます。火の加減を見なければならず目が離せません。
自分の人生にとって美味しいお米を食べることが優先すべきことだとすれば、鍋で炊いた美味しいお米を食べることで人生は充実すると思います。
でもほかにもっと大事なことがあるのであれば、炊飯器を使った方がいいです。毎日手軽に米を炊きたいなら、炊飯器の方が圧倒的に便利です。
ミニマリストは大切なことを大切にする人のこと。モノを減らすという目的のために、炊飯器を捨てて鍋で代用する人のことではありません。
炊飯器に限りません。洗濯機や掃除機もそうですし、机を捨てて押し入れで代用することもそうです。
ミニマリストになって人生を好転させたいのであれば、モノを減らす前に「大切なことを大切にしようとしているか?」と自問するべきです。
モノを減らした結果、自分が大切にしたいと思うことにエネルギーや時間が割けなくなってしまっては本末転倒だし、人生がいいものになるとは思えません。
人生がいいものになるのは、大切なモノを大切にできているからなんです。
本質を捉えていない「自称ミニマリスト」は嫌われる
「ミニマリスト」でグーグル検索しようとすると、検索候補に「嫌い」「うざい」といった関連キーワードが表示されます。
どうやらミニマリストを嫌う人が一定数いるらしいです。
まぁでも、インターネットやメディアなどで取り上げられるミニマリストが嫌われるのも理解できます。
一部の外見だけのミニマリストは、ファッションとしてミニマリズムを使っています。それこそブランド品のように、ミニマリズムをまとっています。
「モノが少ないシンプルが生活を送っている」
「これしかモノを持っていない」
こうしたことをブランド品としてのミニマリズムを使ってアピールしています。中にはモノをどれだけ捨てられるか競争するかのように、モノの少なさをアピールしている人も。
順番が逆なんです。本当のミニマリストなら、捨てるところから始めるのではなく、大切なことやモノを知ってそれを大切に扱うことから始めます。
モノを減らすことは手段であるはずなのに、モノを減らすことが目的になってしまっている。さらにはミニマリストになるためにモノを捨てる人もいるとか・・・。突っ込みどころ満載です。
こうした目的と手段をはき違えているミニマリストは、当然ながらミニマリズムによる恩恵を受けることが出来てないので、人生が好転することはありません。
ミニマリストになって人生が充実しているのであれば、「こんなにモノが少ない自分を見て欲しい」という承認欲求だって手放しているはず。
誰しもがある程度は承認欲求は持っています。けれど外見だけのミニマリストの承認欲求が嫌われるのは、
「自分が大切だと思うモノ以外を減らして、他人の目線から身軽になると、心地良い生き方ができるんですよ」と言いながら、他者の目線に承認されたいという欲求にとらわれている、という矛盾があるからです。
つまり「承認欲求を手放している自分ってすごくない?」ということを承認して欲しがっているんです。
そりゃネガティブな意見にさらされるのもごもっともだなぁと。
大切なモノを大切に
- 家族との時間を大切にしたいから、付き合いだけの人間関係を見直す
- 今は仕事で成果を出したい時期だから、邪魔になるモノや事柄を減らす
- 興味がある分野の勉強に集中したいから、テレビを手放して時間をつくる
こうしたことはすべてミニマリズムです。
自分にとって大切ではないことに費やす時間やエネルギーを、必要最低限にする。
自分にとって大切なことに費やす時間やエネルギーを、最大化する。
モノを減らしてやることを減らしても、その先に何もなければ、生活が不便になって暇になり、また別の余計なモノとことを増やすだけです。
大切なモノを大切にしてはじめて、ミニマリズムは価値を持ちます。
だからミニマリストであるかどうかよりも、大切なこと、大切なモノを大切にしましょう。そのために大切に出来ないことやモノがあれば、手放していく。
結果としてモノが少なくなっているかもしれない。そして佐々木さんの定義するミニマリストになっているかもしれない。
でもそのときには、自分がミニマリストであるかどうかも気にならなくなっているはずです。
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